木との縁


また縁ありて
木を譲り受けました。

上左から

アスペン?(あまりよく知らないが、削りやすそう。)

ウォールナット

カリン(黄金色のきれいな木です。)

樹齢150年を超すヒノキ(年輪の目が細かく、かんなをかければ真っ赤に光輝く)

黒檀(表面は白く、白と黒とのコントラストが素敵)


これを活かす日が来るまでは、手元に置き、木から気を頂きたいと思います。


関連記事

飛騨民家お助け隊

今朝、古民家お助け隊に参加してきました。



移築後85年の古民家のお掃除をしながら、パワーを頂きました。

直径70センチ、長さ10mを超す、梁も磨かせて頂きました。


ぴっかぴっかです。

囲炉裏でいぶされた梁や、戸板は黒光りして、たまらん。

こんないいものを見たら、また家のハードル上がりました。
こんな家に住みたい!

お掃除のあとは囲炉裏を囲んで昼食を頂きながら、
昔話や、家の話を伺い和気あいあいと過ごしました。

ご主人に聞いたこぼれ話ですが、そばの実を「手で挽いた」そばは、格別で、
いかに手打ちでも、機械で挽いたそばは熱で風味がとんでしまうらしい。

手挽きのそばいつか絶対に食べます。


やはり家を維持していくのは掃除や管理が大変だそうです。
でも、
「この家に暮らしていると、心がゆったりとして、健康だ」
と御年80才のご主人はおっしゃっていました。

いい家とは何か、
日本人は改めて考えてみる必要があるんじゃないでしょうか。

良い経験をさせて頂きました。



関連記事

今日の出会い

産業フェスティバルに行ってきました。

朝から出展場所で当番。
お客さんが来てくれました。
「木のものすきなのよね~」
と言っておられたかたがおり、
なんだか救われる思いでした。

曲がった木の板を使った低い座卓 卓床が人気でした。

今日も色んな出会いがあり感動があったのでその話を少し。



山が好きで木こりとして生活してらっしゃるFさん
地元で取れるスギなどの木で、スノーボードを作られたことも。
限定10本だけで、まだ商売にはなっていないようですが、
地元の木でスノーボードを作り、地元の人や木に関心のある人が飛騨の山で
スノボを楽しむ日を考えると、ワクワクします。
朗らかな方で、話をしているととても楽しかったです。

ヒノキの製品を販売しているアオキウッドの青木さん
ベンチやまな板など手頃な価格だったこともあり、持って会場を後にする人をたくさん見かけました。
日本の山に木はあるんです。海外から輸入する必要はないんです。

ヒノキの家具の良さを語り合いながら一杯。
ぜひお店のほうに伺うお約束をしました。
香りと木の色、ヒノキって素敵です。

moblog_938100ca.jpg
キレイに撮れてないですが、
セミダブルくらいのサイズでお買い得なベッドです。
子どもができるベッドだそうです笑
健康なら子どももできやすい?多分本当です。
お礼の手紙がいっぱい来ているとか。



学校でも講師に来てくださった松尾 吉一氏 
今度 名古屋の高島屋で展示会もあるそうです。
JR名古屋タカシマヤでの「飛騨のクラフト展」 11.16.Wed → 11.22.Tue 
とり
(左は鵜藤さんという学校の先輩の作品、お二人の展示会なんです。)

木の美しさ、色、木目を最大限活かし、素敵な鳥を作られている方です。

「木の声を聞いてあげる。」
「木材は引き寄せられてくる。縁がある。」

そんな言葉が心に残っています。
知る人ぞ知る 匠だと思います。

素敵な木に心を奪われたので譲っていただきました。
樹齢700年のケヤキだそうです。
黄金色に輝いています、いい気がもらえます。
けやき



最後に古民具店でも出会いが

銑(せん)と万力です。

研いだら、グリーンウッドワークに使えます。

古道具


日本ではもう作っておらず、買うには海外のものしかないと諦めてましたが、出会いました。
日本の伝統ある道具を使えることがとてもうれしい。

万力:板を割るための道具。屋根の板を剥ぐために使っており、実は日本では高山にしかないものです。(2
万円ぐらいするとか・・・)

銑:英語だとドローナイフと呼ばれ、削るための道具です。結構きれいに削れます。桶職人さんが使っていたようです。

良き出会いに感謝感激でありました。

良い一日でした。


関連記事

椅子と日本人の身体 矢田部 英正 著

先日触れた 矢田部氏の著書
「椅子と日本人の身体」について
もう少し詳しく紹介する。

どうも人に伝えられる文章にならないので、どうしようか迷いましたが、
心動かされた文章、自分ではうまく言えない「思い」を言葉にしてくださっている文章
があったので、引用して紹介しようと思う。特に赤字部分は良いです。


(以下引用 赤色付けは当方。→以降に当方コメント追記)

医者と学者とメーカーが結託して、ひとつの理論で支配しようとすると、経験的な歴史の上に積み重ねられた繊細な技術は、それが「言葉にならない」という理由で時代の波に呑み尽くされてしまいかねない。実際問題としてクリエーションの最高峰の技術というのは、およそ言葉を超えた感覚領域でみなしのぎを削り合っている。その技術があまりにも繊細であったがために、あるおおざっぱな合理主義に呑み込まれ、すべてが経済効果へと還元されてしまうような世界の風潮に対して、もはや悲鳴にも近い危機感を察してこの研究をはじめた。

 →なんだかすごくよくわかる「動機」。同じようなことを感じている。

とりあえず現在の専門家に共通の見解は
「同じ姿勢を長く保つのではなく、姿勢を自由に変えられること、」つまり「動きの自由度を確保することが重要だと考えられている。
椅子に長時間座ったときに人は姿勢を様々に変える。したがって座った人の自由な姿勢の変化を妨げないように、「背もたれ」や「坐面」に動きを持たせるべきである、という考え方に落ち着いている。
これも椅子を設計する上での着眼としては重要なことなのだが、何か根本的な問題を見落としているような印象が筆者にはある。

 →人間工学。疑ってみる価値はあると思う。 少なくとも、人間工学よりも 遥かに優れた身体感覚は存在する。


「正しい姿勢ひとつ取れないで、自分の身体を自由に使いこなす努力もしないで、どうして心地よい椅子など作ることができようか」


 →同意。もっと身体に目を向けてもらいたい。みな、自分の身体に対して非常に適当で無神経だと感じることが多々ある。

デンマークでは学校の椅子にかなりの予算を割いているらしい。しかもその理由というのが素晴らしいのである。
「いい椅子を使えば子どもたちの姿勢が良くなる。彼らは健康な大人へと成長する。そうすれば医療費の削減につながる。だから学校の椅子には予算を惜しまない。」
と文部大臣が言っていたというのだから、わが国の役人たちとはずいぶん意識が違う。
 →学校の椅子はひどい。心地よい物ではない。加えて、皆が真正面を向いており、両端の生徒は常に身体を捻った状態で話を聞いているのも、身体には良くない。大学のように先生の方向に机と椅子を向ける方式が望ましいだろう。

とくに経済性という価値が優位にはたらくと、機械化を進め、人件費を削減することによって、ものつくりに人間の「手のはたらき」が関与する余地は大幅に縮小されていく。もはやこの段階では、生産者と消費者との直接的な交わりはほとんど生じなくなり、いわゆる顔の見えない物づくりの領域ができあがる

 →顔の見えない物づくり、プロセスの見えないモノに関しては大きな危機感がある。誰が造ったか分からない野菜、何を食べて育ったかわからない肉、どうやって生まれたかもよくわからなあい遺伝子組み換え食品・・・


どんな作り手にとっても新たな物を産み出すことにはおおきな悦びがある。エスキースの空想段階から、素材の選定、物が形をとってく製造過程にも全身で実感できる悦びというものが存在している。経済的価値に支配されて、つくることの悦びが機械に奪われてしまうと、何よりも物から「魂」が抜けていく。

 →つくる悦び。まさにこれが自分が求めるもの。そして子どもたちや多くの大人に伝えていきたいことでもある。

人間の労働が時間と金銭にしか還元されない価値観のなかでは、もはや「魂」という品質は存在の基盤を失ってしまっているのだが、実はその品質を産み出すものこそが、物に永遠の豊かさ添えるつくり手の「身体技法」なのである。

 → 自分が追い求めてきた「身体技法」 と 「魂」が ここでつながった。

私たちは作品を通して仕事と出会い、仕事を通して人物と出会い、その人物を動かす何か「おおきなもの」の存在と出会う。しばしばつくり手は自分で創っていながら、実は自分が造らされていることを知っている。
あらためて思うに、大切なことは自己表現でも、作家の思想でもない。「ありのままのものをありのままに見ること」、その目がしっかり養われれば、何をどう造るべきかはあらかじめ定められていることがわかる。その「妙見』を授ける「おおいなるもの」を永遠に超えられない「自己」というものを自覚したときに、この身体のなかにも「おおいなる自然」がはたらいて、みずからの内に所作として宿る「自然の妙」を発動させる技術の所在をつきとめることができるにちがいない。

 →おおいなるものに動かされている感覚がある。また、この締めくくりの文章が、自分の未来を暗示されているようにも感じる。


(引用以上)

柳宗悦氏が進めた、民芸運動にも通じる
矢田部氏の心意気を感じずにはおれません。

散文・乱文失礼しました。

ぜひこちらもご覧下さい。

矢田部英正氏の「武蔵野身体研究所」HP


関連記事

グリーンウッドワーク

先週末のグリーンウッドワーク

曲げ木初体験

蒸して
曲げる

これだけ

まげ

すごい。

曲げ木は
資源を有効活用できるし、
強度も保ったまま、曲線の加工ができる。
可能性を感じました。

結構曲がります。

関連記事

椅子と日本人の身体

椅子作りに携わる者には必ず読んで欲しい一冊。

学生時代の新体操の経験から
身体研究を始め
仏像に理想の座姿勢を見いだし
身体感覚という観点から、坐の文化、椅子を見つめ
実際に椅子作りも行った著者

人間工学への異論
身体感覚の追求
について、自分が考えていたことをまさに文章にしてもらえたようで心地よい。

これをきっかけに改めて自分の身体を見つめ直すとともに、
今後の椅子作りに必ず活かせる感覚を得た。

からだのメソッドのほうは
学生にも授業を通じて色んな発見、気づきを与えたという点、大きな意味がある書だと思う。
ただし、著者の歩行に関する記述については、自分の身体感覚とは大きなずれがある。
体操出身なので、あまり歩行とは縁がないのではないかと僭越ながら邪推する。





椅子と日本人のからだ (ちくま文庫)椅子と日本人のからだ (ちくま文庫)
(2011/02/08)
矢田部 英正

商品詳細を見る

からだのメソッド-立居振舞いの技術からだのメソッド-立居振舞いの技術
(2009/05/12)
矢田部英正

商品詳細を見る

日本人の坐り方 (集英社新書)日本人の坐り方 (集英社新書)
(2011/02/17)
矢田部 英正

商品詳細を見る
関連記事

木工を始めた動機

今朝思い出した。

なぜ木工を始めたか。

身体感覚を磨きたいからだ。
矢田部英正氏の書籍が思い出させてくれた。
機械加工に魅力を感じないのも当然だ。

機械使っていても、身体感覚は磨かれない。
むしろ機械により現代人の感覚は鈍く、弱くなっているというのが、実感だ。


関連記事

心技体 特に体!

心技体というのが話題になった。

心と身体はつながっている
身体を整えることで心も整い
身体を使いこなせてこそ、技を発揮できる。

余談になるが、「身体」を使わない仕事をしてきて
どうしても「身体」を使った仕事がしたくなったのをきっかけに
今の道を歩みだした。

しかし、この「身体」という感覚が、どうも人々の意識や感性から抜け落ちている気がしてしょうがない。
今日の授業で実感した。
現代人の身体はどんどんなまっていっているという感覚がある。
これが機械化の一つの悪しき側面である。

問いたい

・地球の引力に対して、まっすぐに立てますか?
・疲れず何時間も立っていられますか?
・疲れず何時間も座っていられますか?
・身体を思いどおりに動かせますか?

身体に意識を向ければ雑作もないことだと思う。
ただ、自分を含め、出来ない人が多すぎる。
できないことにさえ、気づいてもいない。

まず身体から磨いていくつもりで、毎日を過ごしている。
身体で表現し、伝えていくことができる人間になろうと思う。


最後に、心技体という言葉がいいな~と思ったが
誰が言い出した言葉か調べてみた。以下参照
ーーー
柔道家 道上 伯(みちがみ はく)氏が、フランス柔道家の「柔道とは一体なにか?」の問いに「精神善用」などの表現を控え、「心技体」という言葉で説明したのが始まりだと言われているそうだ。
さらに、その元になるのが、柔道の父 嘉納治五郎氏の“柔術独習書”の17ページ目に、柔術の目的として明記されている次の言葉だそうです。
 1)身体の発育 (体)
 2)勝負術の鍛錬 (技)
 3)精神の修養 (心)
ーーー

(社)日本空手協会滑川支部より引用

柔道から来ていたのか。
武道と身体感覚は切り離せないからな。



関連記事
フォトアルバム
ごあいさつ
高山で家具を作っています。
木の家具づくりと古い家具の修理が大好きです。
毎日勉強させてもらってます。

蔵に眠っている家具ありませんか?!(^^)!

あなたの生活に合わせたデザインや サイズの「あなたのため」の家具を ご予算内で提供したいと考えています。

「木の家具ってやっぱりいいな」
「木の道具ってなんだか落ち着く」
そう言っていただけるよう 仕事をしていきます。
ようこそ
『やどりぎのホームへ』
最近の記事
記事(カテゴリー別)
最近のコメント
お問い合わせ

名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
サイト内検索
アクセス数
おすすめのサイトへのリンク
FC2アフィリエイト
予約宿名人